HiQden Blog
ART/FASHION/MOVIE/MUZIC/DOLL/NOIR&...?

'IDO71' ''M''

『どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいか? 
どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか? 
どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか? 
どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか? 
どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?』
村上春樹「走ることについて語る時に僕の語ること」

これらを全て路上を走ることから学んだそうです。

それを聞いたらあらためて、走らないわけに行かないな、って感じになりました。

今後も続けていきます!!


*


''M''
映画についてですが、今日も話題の内田裕也が出ているものを紹介しようと近くのツタヤ行ったら、「エロティックな関係」ってやつしか置いていなくて、まぁそれ借りたんです。監督は若松孝二、ビートたけしとか宮沢えりとか、、おやじバブリー'80な感じが素敵ではありました。最後まで見るに耐えませんでしたが。というわけで書くことも無いので、今後是非見たい映画のメモを。


公開
パブリックエネミー
イングロリアスバスターズ
ファッションが教えてくれること
パンドラの厘


DVD
ひなぎくなどチェコ系
インスタント沼
10階のモスキートなど日活内田裕也系
プール、南極料理人など料理おいしそう系
ディアドクター
深夜特急
九月に降る風
アニエスの浜辺
里山
デッドマン、ブロークンフラワーなど
バルカン超特急
眠るパリなどルネクレールのやつ



最近はとりだめしていた「WATARIDORI」をみました。いい感じに眠くなります。ねてっばか!








'IDO70' ''F''

''F''
洋服について書きます。
前々から気になるのは、マニッシュ・アローラ
平川武治さんのブログで知った、インド出身のデザイナー。
パリデビューから三年、6回のショーを行っており、
なんだか、ブルータスで見た、同じインドのスボート・グプタという人の作品
を思い出した。インドつながりだってだけか。
20061006232157.jpg
この人もおもしろそう。いつか取り上げたい。


話を戻して、アローラの話。
彼女は、パリにインドの空気を持ち込んだ人ととして知られる。
その造形や色使いはまさに、インド的。
それだけでなく、インド特有(南アジア特有?)なんていうか、そういう美意識で戦っていることが評価されているんだと思う。
最近ではGIVANCHYのリカルド・ティッシがラテンを持ち込み話題になってますよね。
(レギンスとかスタッズとか。ハードでスポーツマッチョな感じ。)


ではアローラさんについて調べたことを列記したいと思います。
以下、英版wikiを頑張って意訳。間違いもあるかもしれません。


Manish Arora(推定30代後半、ちなみに男性)は、
初め商業を学ぶ学生であったが、服飾の道に転換。
ニューデリーの有名校National Institute of Fashion Technologyに進学、94年首席で卒業。
97年に同名の自身のレーベルを発表。
セカンドライン'Fish Fly'を発表。
05年にロンドンファッションウィークにデビューするや、一躍話題に。
「インドのアレキサンダーマックイーンだ!」なんて持て囃されます。
んでその話題性に食いついたReebokやSwatchとコラボ。
その後コスメライン'MAC'を発表。このへんは欧州ナイズされちゃった感もあります。
(でも彼女へのプレゼントにはいいかもなぁー。キッチュでかわいいんです!)
MAC_Manish_Arora_013.jpg

07年春夏よりパリコレに発表の場を移す。
MA.jpg
↑パリデビュウコレクション。
その後ロンドンの美術館に展示されたり、日本でもビームスが取り扱ったりしているようです。
Manish20Arora.jpg
日本で言うとツモリチサトみたいな感じでしょうか?かわいいです。


*


・今日ぐっと来た言葉「明日教育ある者はグローバルな世界に生きると同時に、部族化しつつある世界に生きる。ビジョン、視野、情報において世界市民でありながら、自らのコミュニティから栄養を摂るとともに、栄養を与える存在となる。」―ドラッカー。ふふ、かっこいいー。こんな人になりてぇもんだ。

・人の文章を読んだり、自分の文章を見たりする時に、「あ、この時正直に書いてないな」って思うとげんなりします。そんときは高揚していての発言かもしれないけど、冷静になって言いすぎ、語りすぎ、知ったかぶりしすぎな発言は、それが記録としてのこる場合、やっぱり控えた方がいい。
自分が見た自分像と、人から見た自分像のどちらも欠かさず、かつ加法減法を弁えていたい。
技巧のある文章も、味のある文章も書けないけど、「正直な文章」はかけるやつでありたい。

・40歳過ぎたらネルシャツ着てジャムでも作る生活、、コレはコレでいいけどちょっと達観しすぎて自分には退屈かな。でもほっておくとそっちに流れていくようなので、そこは意識が必要である。しょうがとか煮込むし。糸井重里もいいけどリリーフランキーも忘れるな、って感じですね。

・走ることから遠ざかっているので村上春樹のエッセイを読んで奮起したい。明日こそは。





'IDO69' ''A''

まぁ色々と考えた今日。
思い出すままに。


・ゼミの先輩においで頂いて(二回目)、就職の話。
まぁ、そう成りますよねぇ。そうとしか言いようがない、といったお話を拝聴。
ひとつ勉強になったのは、なんというか、「兎に角頭では論理的に進めていった物事を、
ただこの今、この瞬間に表出している、言葉にするのも面倒なこの、なんか」というか、
これを、その時の自分は『饒舌ロジスチックス』と名付けたのですが、そうしたものって、
なんらかの人間的安堵を生むなぁ、と思った。上手く説明できない。


・まぁユウキなんかを見ていると、なんか、考えるのを放棄して行動してるのが少しいけないこと
をしている感じがする。じゃあどうしたら、っていうのも、生後からの話になるし、
またしてもきちんと言葉に出来ない問題だけど、心に留めておくべきこと。


kara1.jpg


kara2.jpg

・カラオケはいい。Aの次はきちんとDがくるし、その後だって律儀にGを持ってくる。
おれはその秩序に息を乗せてから、すこしかき乱してみたり。
かき乱しても、それは秩序で、向こうからは一切のオーダーも無く、
こちらからのみ、息吹と、オーダーと、乱すことをハーモナイズ。特別な時間。


・さて、一年半ほどこれを続けてきて私心も大きくなり始めています、
手始めに、一番初めに掲げた『芸術/服飾/映画/音楽/ぬいぐるみ/ノワール/その他』
をすこし煮詰めてみようか、年内。ってな考えを少し行動にします。


では手始めの。''A''


最近注目のコパーを。
Hans Coper(1920-81)
かれはウィーン生まれの陶芸家であり、20世紀の陶芸界を牽引した、(これこそがかれの称号の一番優れた、とは思わないが)存在である。
彼を語るにあたって、生涯のパートナーであるLusie Rie(1902-1995)の存在がついてくる。
それどころか英語版のwikiの分量、コパーの日本語ページがないことを見てもルーシーの存在の方が大きく扱われているよう。
彼女は、当時の潮流に反して、電気窯を用いた、薄く軽い日本風な陶器(ボタンなど)を手がけ、非難を浴びていた。そのころの暮らしは『キャベツばっかり食べていた!』と語られている。
そんな最中の彼女とコパーは出会う。彼らは主義趣向の異なるものの(コパーは抽象的で非機能的。ルーシーは伝統的かつ機能的)共同で作品を作るようになる。
そうした共作のなかで、複数のパーツを別に作り後で溶接する高度な技術や、古代エジプトの彫刻を真似たキクラデス・フォームなどを生み出した。
coperandrie0506.jpg
このような彼らのストイックかつ挑戦的、そして一切の偶然性を許さない高度な技術によって20世紀後半の陶芸は、単に伝統文化の継承でも、実用の技術でもなく、芸術へと昇華した。(といっていいのかはわからんが)
あとミヤケイッセイが好んでルーシーのボタンを収集していたり、コレクションで使っていたりしているそう。あと、ラフシモンズはたくさん陶芸品なんかを集めているみたいだし、最近のコレクションにコパーに似ているものを深く(おれは)感じるので、コパーの作品も集めているんじゃないかと、勝手に想像する。


初日はこんなものかな。明日は''F''です。'



'IDO68' コパー

日曜美術館が好きです。NHKのやつ。

横尾忠則特集とか、こないだのバロック特集とかおもしろかったなぁ。

姜尚中さんがいつも率直でまじめに作家のイメージを語るところが興味深い。

声もいい。

んで幾つか美術館にいきたいやつがある。

ハンス・コパー展(兵庫陶芸美術館、11/29まで)は特に興味津々。
coper09.jpg
↑アトリエでのコパー、らしい。かっこいい。

急がないと逃しそう。

でも地味そうなのでデートとかにはむかなそう。

クリムトのやつ(12/23まで)もいきたい。

あと国際美術館の常設展はいつもいいので期待大。(12/13まで)


'IDO67' 師匠との逆説モノローグ3

で、続けざまの更新になりますけど、川上未映子さんの講演で感じたことの備忘録を、半分忘れた頭で書きます。


・師匠の生い立ち。
死ぬことは、こればっかりは『絶対』であるという受け入れ難い事実から出発し、言いようのない恐怖を感じていた。夜間に急にそうした恐怖が訪れ泣くほどだった(こうした経験は少なからず自分にもあるな)、その恐怖を伝えるすべなく、ただ泣き暮らしていた中、本と出合う。ただ、その中にある、物語性や、属性や、勧善懲悪や人生の意味などには興味をもてなくなる。その後そうした反動から形而上学的な方法論→哲学に傾倒。しかしここでも、自分自身の問題は形而上でも形而下でもなく、『形而中』ともいえる、非言語の間隙にあるのではないかと考え、『文学』にたどり着く。そこでは科学を捏造し、実験的に新しい、もしくはもう一つの世界を作ることが出来る。それによって未だ言葉にされていない心の動きを捉え共有することが出来る。


・『ヘヴン』について。
いじめ、とは法的に規制があるわけでなく、善悪の区別が明確にはない。
圧倒的な力、社会的に意味の存否を語られる事柄について、『自分自身』の倫理を構築することが重要。その結果とるべき行動事態は変わらないかも知れないが(善悪、というのは事実存在しているので)、その『自分自身』という点に大きな意味が付与される。→『ぼく』の最後に見る美しい景色のように


・書き手、としての本。
誰もが感受したことはあるが、誰も言葉に言い表せたことが無いことを言葉にし、新しい世界をひとつ増やすこと、これが書き手の重要な役割の一つ。
書く際に必要なことは、構造・役割・感動の想定の深度・感覚。
書き手になった理由は、好きである得意であるよりも、まず出会いがあり、そこにやりがいを見出し、好きになったという順序。


・読み手、としての本。
読むことは愉しいこと、ではない。読むは闘い。愛しながらの闘いである。


・存在と分節。
まず存在があってそこに言葉が付与されるのか、言葉が世界を作り出すのか、
二つが同時に発生しているとしか考えられない。


・これから
自分自身の中に既に『ある』もの、出来つつあるものはどうでもいい。自分の好み・価値観が無視されるところにいきたい。びびりたい。もっと文芸をみたい。やすらぎよりも変化心の果てにある感情の揺らぎの共感が目指すところのもの。


・その他話に出てきた人・もの。
*村上春樹、俵田葉子、樋口一葉、武田百合子はすき←だいたい死んだひと
*ソシュール、ヘレンケラー、メルロポンティ
*三島由紀夫『刑事訴訟法ほど美しい文体はない』←善悪の判断がきっちりとあると考えている
*マンガ『日出るところの天子』を毎日読んでいる。


やっぱり忘れたことも多いなぁ。。くくっ。

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