本日よかったこと。
自分がどう、見られているか。
視覚的にも感覚的にも感じて取れたこと。
おれは、
笑うと目が無くなる、みたい。
個性的、みたい。
なんだかんだ、最後までやるみたい。
生活がだらしない、みたい。
やっぱり、想ったよりか声ひくいみたい。
秘密をすぐさま暴露しがちで、打ち明けるには向かないみたい。
自分でわかっている部分と、意外だった部分ががあったので、
おもしろいなぁー。
なぜなら、自分は、この、自分内精神てやつは、人に良く見られようとか、
こういう面白いことを思いついたから伝えようとか、まぁここまではいんじゃないかとか、
いろいろ考えるわけですが、
こいつ自身は語るべきものを発する口も、目も手も、ほっぺたももちあわせていなく、
それを外部宇宙に産み落とすのは、言葉であり肉体であるわけで、
それこそがコミュニケーションであるわけで、
やはり、そうやすやすと上手く伝わるもんではないんだね。
そこには、あたまと体、脳と口、電気信号とシナプスにいたるまで、幾度となく、
あるはずのないものを目の前にどうにか形つくる過程を経るわけで、
そんなこと考えなくたって、コミュニケーションというものは大変で、
まぁそんなことを昔書いた。それは精神の肉体への優位だとも。
しかし、肉体から精神へのフィードバックも、重要であった。
先の優位を覆さないまでも、対等へと降ろしてくるほどに。
肉体の外部からの情報みならず、肉体自身の所与の限界、という知覚もここでは重要になってくるのである。
フィードバック。うむ、認めたくは無いが認めるべきところと、
戦ってでも自分が正しい、というか、真実、というものがあるなら、それに近いであろうと、
論理的という意味ではなく、単に言語的にという意味でのロジスチックに説明しうるところを区別して、
引くところは甘んじて撤退し、再攻撃に向けてすぐさま再びのろしを上げる火をおこし。
引けぬところは犠牲を払ってでも固執するのだ。
これは脳と体のタッグVS世界、の戦争である。対話戦争は好きなだけやるがいい、と想う。







