・働くということを考えたとき、今と何が違うかといえば、
山田先生もおっしゃるように、『生産』の立場か『消費』の立場かと言うことだ。
社会人として世界に『有益なものを提供する』ということが出来て初めて社会の一員として認められる。
ここでこの『有益なものの提供』ということに留意すれば、
それは『提案』や『創造』とは少し距離のあるものであると思う。
『提案』や『創造』はある種既存のものを壊す性質をもつ。
現代人のかちこまった悪しき風習や素通りされてきた問題を明るみにして新しい価値を『提案』し『創造』する。
これによってマクロでは社会に有益であること、そしてこれまで大いに有益であったことに疑う余地は無い。
しかしたかだか80年しか記憶と財産の保持と欲求の実現を認められていないいち人間にとっては
これは脅威にもなりうる。なぜなら彼のそうした価値を少なからず壊すからである。
『壊す』仕事が『生産』の立場をとるのは非常にむつかしく、高度なテックが必要なのはこのせいだと思う。
以上、なにか「仕事=社会の歯車」と叩き込まれ、髄で理解されている方には何をいまさらな話だと思うが、
僕のように、仕事は楽しく自己実現の場であろうなどと、なんだかふにゃーと教えられてきた者にとっては、
なかなかに超えがたい事実であり、そこには一定水準の自分なりの納得が必要となるので記してみた。
のが一点。
・二つ目に自分の癖について。
先の話にも繋がるけど、
前もって現実から距離を置いて半信半疑なまま飛び出すことが好きなようです。
いや、しっかりと下準備をして恥をかかないようにもするのも好きだけど、
そうだな、とかく自分ひとりの体験については前者の方で動いているみたい。
リュックひとつで旅行とか、お金ないけど買い物するとか、辛さもわからず資格の勉強始めたりとかが好きです。
ある意味で、それは後の結果もある程度なら受け入れる覚悟があるのかな。
それか責任のがれをしているのかな。
でも不思議とそんな勝手な決断に振り回される後の自分は、決断を下した自分を恨んだりしないんですよね。
苦労も多いけど、苦労だと思わないというか。えらくこうかくと美辞麗句だけど。
、、、でも今決断が出来ずにいます。後の自分が今度こそ恨む気がするんです。
結果が受け入れられない程度になり得るし、責任逃れが出来ないかもしれない。
そんな決断初めてかもしれません。弱気ですがこれが本音なんです。
こんな独り言みたいな文章おもしろくないわな。
Twitterでもはじめようかな。
でも糸井さんいわくネットもブログも友達とだべってる感じなもんだし、これでいいのかもとも思う。
色いろ思う。
もうひとつなんだっけな、忘れちゃった。
あと今日のラバズラバは
Dischargeもう少し聞き込んで見なきゃわからんけど、歌詞も反核・反戦なんかを歌っているのでもうガチパンク!(ハードコア?ってなに?)
僕はもともとパンクと言えばバズコックスみたいな、クラッシュとその仲間たちが社会に物申している間に恋と情念を歌っているようなバンドが好きなんですが、
あとNYパンクも好きか。
最近はこんなガチパンクもいいですね。なんか真摯というか。

ジャケかっこよすぐるだろ。
個人的にPebblesのジャケはいいのが多いと思う。



おれも全部集めたい。